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ご挨拶

若い頃は製造業の会社員でしたが、直接人の役に立てるような仕事がしたいと思うようになり、医師になりました。
へき地医療・大学病院・総合病院などで、様々な経験を積み、2020年11月に開業いたしました。(詳しくは下記の自己紹介をご参照下さい)

患者様の声に耳を傾け、分かりやすいご説明を行い、できるだけ納得していただけるよう心がけていきたいと思います。
言われないと気づかないこともありますので、疑問に思った点などは遠慮なくお話し下さい。何卒よろしくお願いいたします。

院長 川西 康太郎

略歴

2005年 自治医科大学医学部医学科卒業
兵庫県北部の公立豊岡病院・浜坂病院・村岡病院・八鹿病院に兵庫県職員として勤務
自治医科大学神経内科
東京北医療センター 神経内科
春日部中央総合病院 神経内科、内科

所属学会・資格

  • 日本内科学会認定内科医
  • 日本神経学会神経内科専門医
  • 日本医師会認定産業医
  • 日本認知症学会
  • 日本パーキンソン病・運動障害疾患学会
  • 日本頭痛学会

自己紹介

 私は、幼少時は親の転勤により日本の各地を転々としておりました。浦和は大変良い街だという知人の勧めにより、約7年前に浦和駅近くに居を構えることといたしました。知人の話どおり、浦和は、便利で自然もあり、教育面でも優れていて、治安もよく安心できる環境であり、大変好きになりました。このたび、その浦和で開院できたことを大変嬉しく思っております。

 私は、東京大学経済学部を卒業して数年間、鉄鋼メーカーの会社員として働いておりました。意外に思われるかもしれませんが、製鉄所で作業服を着て仕事をしておりました。その間の数年間は大変忙しかったのですが、かなり濃厚な様々な経験をさせていただき、その後の自分にとって非常に財産となりました。その時にお世話になった方々には、今も大変感謝しております。その経験により、医師となってからも、色々な面で一般の社会人の感覚に比較的近いのではないかと思っております。

 あるきっかけから医師に転身することを決意し、退職後の数か月、必死に受験勉強をして、運よく自治医科大学医学部に入学できました。卒業してからは、9年間、出身高校があった兵庫県の職員として、主に兵庫県北部の病院に勤務しました。
 兵庫県というと、神戸のイメージがあると思いますが、少し北に行くだけで広大な山々が日本海側まで広がっています。その山々の間に小さな集落が点在しているので、いわゆる僻地という所が多いです。医師も少なく、常勤医3人などの病院で働いていたため、色々な状態の患者さんを診ざるを得なくなります。内科全般はもちろん、皮膚科、小児科、整形外科などの領域も診療する場合がありました。卒業後、数年ですぐにそのような環境に派遣されるため、最初は心身ともにかなり厳しい状況でした。その一方、色々な経験ができ、それらが自分の基盤となったため、その後の医師人生にも幅ができ、今に至ることができたと思います。

 研修医の時に、地域で大変頑張っておられた神経内科(脳神経内科)の先生の影響を受け、神経内科を専門にすることとしました。地域での研修に加え、母校の自治医科大学神経内科で2年間、後期研修を行い、幸いにもその後早期に難関な神経内科専門医を取得することができました。その後、神経内科を中心に、一般内科の診療も併行して行ってきました。神経疾患の診療はやや特殊であり、専門的な知識や経験が必要となるため、やや大きめの病院でも自分しか診断できないような場合がありました。そのような時には、特にやりがいを感じておりました。

 開院前に勤務していた春日部中央総合病院では、外来では神経内科を、入院では内科全般の様々な患者さんを担当しておりました。慢性期病棟もありましたので、まさに急性期から慢性期まで、一貫して一人ひとりを長く担当することも多く、貴重な経験をさせていただきました。

 医師としての一定の経験はこれまでに積むことができ、地域に密着した医療を継続して行いたいとの思いから、開業することといたしました。開業するにあたっては、知らないことばかりで、かなり大変でしたが、多くの方の力をお借りして、何とか開院することができました。

 今までの経験と、脳神経内科専門医という特性という生かして、誠心誠意、努めて参りたいと存じます。今後とも、何卒よろしくお願い申し上げます。

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